柔道整復師になった理由

Sep 04, 2024
 
 
 
 
こんにちは。

 

パリオリンピックが始まりましたね。
 
僕も現在多くのアスリートを見ていますので、やはり世界のスポーツイベントはとても気になりますし、何より世界のスポーツのお祭りですから楽しみにしております。

 

選手の努力や想いが顕れ、多くの方を熱狂の渦に引き込みます。

 

ちなみに、僕自身がなぜ柔道整復師となり、多くのアスリートをみるようになったのか、今回はここについてお話しさせていただきますね。

 

あれは僕が中学生の時、母親が自己免疫疾患である関節リウマチという病気になりました。

 

この関節リウマチは関節が何より痛いらしく、母親は調理師でしたが、仕事に支障も出て毎日顔をゆがめていたのを今でも覚えています。

 

その当時の母親の苦しむ姿は何より私には辛く、母親を喜ばせるために毎日馬鹿な行動をしていたのを覚えています。

 

今になって思いますが、母親のお腹から生まれてきた子供なりにできることを自覚していたんだと思います。

 

そして今となっては解明されていますが、この関節リウマチの原因の一つとして笑顔が少ないことが取り上げられています。中学生ながら私は直感的に笑顔の大切さを理解していたのかもしれません。

 

高校では文武両道に力を入れているサッカーの強豪校から推薦を頂きました。

 

しかし、高校サッカーの辛さを目の当たりにし、初めてサッカーをやめたいと思った瞬間に遭遇しました。

 

毎日始発で終電。入学当時の自分のサッカーの実力は一番下のカテゴリー。

 

先輩含め70人越えのチームはうまいやつらばかりで、練習についていくのが必死でした。

 

ただ、逃げずに諦めずに毎日努力をし続けた結果、一番下のカテゴリーにいたやつが一番上のカテゴリーでプレーすることができ、栄光の座をつかみました。

 

しかし、17歳の秋、父親がギャンブルで多額の借金をし、母親が離婚を決意しました。

 

その時「やっと離婚したか。」という安堵の内心とは逆に、その後の現実ではとんでもない苦労が待ち受けていました。

 

母親一人で生活費を稼ぐのはとても大変で、必死で頑張ってきたサッカーをやめてアルバイトの道に歩んだこと。

 

初めてアルバイトをして手に入れたお金のほとんどは自分のためではなく家に入れないと生活していけなかったこと。

 

さらに、佐藤という苗字から秋谷という苗字に変わり、周りの目がとても怖くなったこと。

 

サッカーも諦めアルバイトもして、普段何気なくサッカー部の連中らといた時間も失われ、何もかもすべてを失ってしまったのではないかという絶望に駆り立てられました。

 

それほど生活ががらりと変わり、毎日生きていくのが何よりしんどかった。

 

自分は何でこんな苦しい想いをしているんだ。

 

自分は何のために生きているんだ。

 

自分の人生をめちゃくちゃにしやがって。

 

この感情の矛先はすべて父親に向けられ、人生で誰かに対して初めて憎しみを抱いた時でした。

 

そんな気持ちを抱きながらも、進学はお金がかからない国公立大学に進学し数学の教師になろうと決めていたのですが、母親からはまさかの柔道整復師にならないかと告げられました。

 

後から聞いた話ですが、母親の関節リウマチを発見してくれたのが柔道整復師の先生だったとのことで、自分と同じ苦しみを味わわないようにという想いを込めて勧めてきたそうです。

 

私自身、柔道整復師の事もよく理解していませんでしたが、ただ単純に母親の身体を守れるのであればという理由で柔道整復師という道に導かれて行きました。

 

人生とは本当に面白いですね。

 

正解なんてないのですが、知らず知らずに導かれている事を後から自覚して知っていきます。

 

そう考えると毎日の出来事に何かしらの意図がある事を教えてくれます。

 

そして後からその意味が理解できるようになってきます。

 

その時は意味は解らなかったけれど、今となっては柔道整復師になった意味が理解できます。

 

そのおかげで多くの素晴らしい方と巡り合うことができています。

 

毎日意味ばかり考えて損得で行動するよりも意図を考えて毎日行動してみませんか?

 

川の流れのように抗わずに、環境と共にありのままの自分に身を任せたら、きっと本当に自分がやるべき事を理解できると思います。

 

このブログを読んでいる事にもきっと意図があるのだと思います。

 

 

今日もあなたがとびっきりの笑顔になれますように。
 
 

秋谷より