志を立てた瞬間&命と向き合った瞬間

Sep 19, 2024

 

こんにちは。
秋谷です。
 
ブログを書きはじめてから、多くの人からたくさんの感想をいただき本当に嬉しく思います。
 
「いつも元氣で面白い事ばかりして悩みなんてないと思っていたけれど、先生本当に苦労してきたんだね」
 
はい。(笑)
今では笑い話ですが、実はめちゃくちゃ苦労してきたんです(笑)
 
でもそのおかげで人に寄り添えて毎日一生懸命生きようと思えるようになりました。
 
という事で今日も前回の続きを書いていきますね。
 
念願の柔道整復師の国家資格をとり、いざ現場で働いてみると、学校で習ってきた知識が全然通用しない事を教えられました。
 
無力で、痛みを抱えている患者さんに何もできない。それなのに、目の前には痛みを抱えた患者さんがたくさん来ます。
 
そんな中、友達から弟子を取らないけれど腕のいい柔道整復師の先生が群馬県高崎市にいることを教えていただきました。
 
ダメもとで、「現場で色々勉強させてください。」と直接頭を下げてお願いしに行きました。
 
その方こそが私にとって柔道整復師の師匠、大河原彰先生です。
 
技術、人格、仁徳全てを兼ね備え柔道整復師として常にプロ意識を持っている職人の方です。
 
だからこそ、必死でメモを取り続けました。
 
「新聞記者みたいだね」と言われたのを今でも覚えていますが、それほど師匠の1つ1つの技術を盗みたくて必死でした。
 
その後、師匠から整形外科で働けたら一人前、と言われていたタイミングで「スポーツ整形外科で働かないか?」と柔道整復師の同期から導きのお誘いを頂きました。
 
この当時柔道整復師が整形外科で働けるのは本当に貴重なことでした。
 
そしてそこで出会った先生が医師茂木秀之先生です。
 
入社してから茂木先生に毎日質問し、レントゲン写真を一緒に見て、症例について熱く語り合いました。
 
そんなある日茂木先生から
「そろそろ医者になるか、開業した方がいい」と言われました。(笑)
 
医者になるのは大学に行かなければいけないし、開業も意識はしていましたが資金の問題や土地の問題など今の自分ではどうすることもできないと思っていました。
 
ですが、土地は先祖が受け継いできた土地を使えばいいと母親と祖父が、資金は銀行から融資を受ければいいと当時地方銀行の本部で働いていた叔父が、みんなが背中を押してくれて茂木先生に言われた1年後27歳の夏、群馬県藤岡市で接骨院を開業しました。
 
開業をするにあたり心の中でずっと引っかかっていたことがありました。
それは父親のことで、憎んでいた父親にこんな立派になったんだぞと見返したい想いから電話をしました。
 
「お父さん。俺接骨院の先生になって自分の接骨院をOPENすることになったよ。17歳でお父さんがいなくなってから本当に苦しい想いをたくさんしてきた。本当苦しかった。」
 
そうしたら父親が、
「たくさん迷惑をかけて悪かったな・・・。お母さんを守ってくれてありがとう。立派になったな。ダメな父親だったけれど俺はずっとお前を応援しているから。頑張れ。」
この話しを聞いたとき憎んでいた父親に対してなぜか笑ってしまったんです。
 
なんだ、見返そうと思っていたのに本当の自分はお父さんと話しをしたかったんだなと。
そう思うと、今までの事をすべてを赦そうという気持ちになりました。
 
そして、お父さんと小さいころキャッチボールをした思い出がよみがえり、今の自分をつくってくれていたのはお父さんのおかげという事にも氣づかされました。
 
さらに開業する前に母親からは。
「いつもそばにいてくれてありがとうね。辛すぎて死にたいと思ったこともあったけれどあなたの笑顔に本当に救われたよ。これからは多くの人に笑顔を届けて自分の人生を生きてください。いつまでも味方だからね」
と手紙をいただきました。
 
この父と母の言葉から私はある決意をしました。
 
「家族から教えて頂いた教訓をもとに自分の人生を歩んでいこう。」
 
これからは患者さんを家族と想い患者さんが笑顔でいられる居場所をつくろう。
柔道整復師の道に導かれたのは多くの人を笑顔へ救いなさいと。
 
意味も解らぬまま母親に言われ柔道整復師になったけれど、この時この道が天命天職であったと感じました。
 
だからなのか、開業してみると、毎日院からあふれる患者さんが来院されました。
 
そして、患者さんのおかげでドラマのような体験もたくさんしてきました。
 
膝の靭帯を断裂して、まわりから競技復帰は絶対困難と言われていたサッカー選手がレギュラーの座をつかみ日本一になりました。
 
高校生までは結果がでなかつた選手がスピードスケートで日本のエースとしてオリンピックに出場し、W杯で16年ぶりの総合優勝をし、優勝カップを持ってきてくれました。
 
困難なことがあっても逃げずに立ち向かう患者さんたち。
その姿は私に勇気をくれて、だからこそ私も一緒に頑張ろうとおもえました。
 
全てはその先にある笑顔になる自分に出会うために。
 
それが実を結び笑顔になるために、寄り添い、それぞれの天才性を氣づかせるサポートをした結果、日本一16人、世界一4人をサポートする柔道整復師となりました。
 
 高校生の途中に競技を断念した自分でしたが、選手と共にこんなにも素晴らしい結果を頂けたことにはもう感無量です。
 
そして導かれるかのようにスペインのバルセロナへ渡り、世界最高峰の施設やスタジアム、国民のスポーツへの情熱、文化を感じ、改めてスポーツの凄さを実感いたしました。
 
ここから、本格的に
「日本人の凄さを世界へもっと証明したい」
 
そしてこの時志が生まれました
11人の天才性を氣づかせ世界を笑顔に導く」
 
ただ、170人以上の患者さんをみ続けていたら、ある日胸にズキンと痛みを感じるようになりました。
運動しても走れなくなりました。
おかしいと想い、病院に行き検査をしていくと心臓に問題が見つかってしまいました。
 
狭心症でした。
 
担当医も驚き手術をすぐに宣告されて、私自身急に怖くなりました。
もしかして、明日死ぬのかな?
眠りについたら死んでいるかもしれない。
家族もスタッフも患者さんも守るべきものがまだまだあるのに。
そう考えたら寝るのが怖くなり涙がたくさん出てきました。
 
母親の痛みをとるために、患者さんの痛みをとるために技術を磨いてきて、世の中の人々を健康にさせたいと突っ走ってきたのに自分の身体が健康でなかった。
人生の中ではじめて命と向き合った瞬間でした。
 
毎日当たり前のように起きて、毎日当たり前のように過ごす。
 
それがどれだけ凄いことで幸せなのか、これはきっと病気や怪我などになった人にしかわからない事なのかもしれません。
 
だからあなたが辛いときは寄り添います。
 
あなたがきついときは励まします。
 
そしてあなたがそんな身体になる前にしっかりと気づかせます。
 
だからこそうちは自律神経でストレスを測定したり、脳波で悩みがないかを観ているんです。
 
陰ながらあなたのからだを守れるように。
 
私はあなた。あなたは私。鏡のような関係だからこそ、本氣であなたを守り向き合いたい。
 
そんな想いを抱えて毎日施術しています。
 
だからこそあなたのまわりで大切な人は僕にとっても大切な人。
 
大切な人を一緒に救える人になりましょうね。

 

 

秋谷より